青森ねぶた祭りの由来と特徴とは?起源と歴史について
青森のねぶた祭りを知っていますか。
8月2日から7日までに開催される夏祭りで毎年300万人以上の観光客が訪れます。
由来を調べてみましたがいろいろな説がありました。方言で「ねぶた」というのは聞いたことがありましが、他の説については知らないことが多かったです。
今回はそんな青森ねぶた祭りの由来について紹介します。
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青森ねぶた祭りの由来と起源
ねぶたと言われる名称は、
東北地方をはじめ、信越地方「ネンブリ流し」
関東地方「ネブチ流し」「ネボケ流し」「ネムッタ流し」
などの民俗語彙分布と方言学から
「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」になったと言われています。
農業の妨げとなる眠気を送り出す習俗「ねむりながし」の「ねむり」が訛って「ねぶた」になったのでしょう。
また
「眠(ねぶ)たし」
「合歓木(ねむのき、ねぶたのき、ねぶた)」
「七夕」
「荷札」
などに由来するという説もあります。
ちなみに青森市や青森市周辺と下北は「ねぶた」と読んでいて
弘前市を中心とした津軽地方では「ねぷた」と呼ばれるそうです。
他には、このような説があります。
平安初期の真夏の旱魃が続いた8月に突如、嗜眠性脳炎という恐ろしいねむり病が流行し、多くの人が亡くなりました。
これを祓い流すためにねぶた病は遠くへ流れて行ってしまえ、まじめな仲間はこの村に止まってほしいと囃しながらねぶた流し(ねむり病流し)をしたのがねぶた祭りのはじめと言われました。
青森ねぶた祭りの歴史
青森ねぶた祭りは、日本の各地の祭りの中でも指折りの大きなお祭りとなりました。
1716年から1735年のころに油川町付近で弘前ねぶた祭りを真似して灯篭を待落ち歩いて踊ったそうですが、今のように盛大な祭りになることは当時の人々は予測していなかったでしょう。
その時代のねぶたは、京都の祇園祭の山車に似ていました。現在のような歌舞伎を題材にした灯篭は平民芸術が浸透してきた時の物でしょう。
車でひくものもありましたが、大半は担ぎねぶたでした。1人がねぶたを担ぎあげ、四方から支えています。
青森ねぶたの特徴
明治時代に入って青森ねぶたはもっと大きくなりました。約20メートルもあるねぶたを100人で担いでいたそうです。
一時期ねぶた祭りが禁止されていた時期がありました。大正末期から昭和の初めにかけてばけとが流行しました。
青森県では凶作や金融恐慌などがありました。現在のような形のねぶたになったのは戦後です。そしてどんどん巨大化してきました。
ねぶた祭りの歴史は深いですね。今年もねぶた祭りが開催されるので楽しみになってきました。
どのような型か、色合いはどうなのかも見てみたいですね。青森のねぶたについてもっと知りたくなりました。
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